自己満足の講師

こんにちは!こあらです🐨

今回は【自己満足の講師】というテーマです。最近、私が社内教育を受講した際にお会いした方が印象的で、学生時代にも似通った経験をした事を思い出しました。この一件で私自身も社会について悶々とする場面もあり、要約して紹介したいと思います。まず業務上、”講義を受講しなければいけない”という理由で「オンラインで出来ないのかな〜」と思いながらも会場へ向かうと、「コロナウイルス感染対策で指定の場所へ着席ください!」と言われて着席。受講者同士それぞれの距離を十分に取るためか、私の席は”講師の真左”にあたる部分で椅子と資料のみが置かれていました。受講者側からすると右側の最前線という所です。講義が始まり、講師の話を聞きながらも”速読の習慣”がある私は、読み終えた資料を閉じて「イメージトレーニング」をして充実した時間を過ごしていました。すると、いきなり講師が私に対し怒り出して「君は資料も開かずに、私の方を見ようともしないじゃないか。」と言うのです。少しばかり心外ではありましたが即座に謝罪をし、講義を終えました。これで事なきを得たかと思っていたところ講義終了後には私の上司宛にクレームまで届いていたのです。

さらに補足すると、講義の冒頭に「〇〇の内容については時間の都合もあるので割愛します」と宣言されており、私の業務に関係の深い内容は読み上げないと言われていました。ここまでが事のしだいとなりますが、講師の意見としては恐らく「教える側の方を向きを整え、資料を見開いて聞く姿勢が正しい」といった所でしょう。さらには、クレームまで入れてきた所をみると「態度が悪いから怒った。さらには直属の上司からも怒られるべきだ」という感情論で行動したものと考えます。私が何を言いたいのかと言いますと、講師の方が「自分の価値観を押し付け」に過ぎない事象であるという事です。素敵な教育論をお持ちのようですが、以前に別信で紹介した通り”教育はきっかけづくり”に過ぎず、教える側の自己満足だけでは成立しません。【学ぶ側が何を感じて、何を得るのか】の方が遥かに重要視されるべきなのです。私から見る講師の印象としては①オンラインという選択を知らない若しくは出来ない②コロナ禍での行動としてどうあるべきかを理解していない③感情論による言動で、様々な人の無駄な仕事を増やしているといったところです。ちなみに、このクレームについては私の上司も流石に呆れているようでした。

さて話変わって、皆さんは過去にこのような経験をした事はありませんか?私自身は学生時代に似たような経験があります。授業の最中に「なるほど!そうゆうことか!」と理解した事をノートへ書き込んでいたところ「いいから前を見て話を聞け!」という先生がいらっしゃいました。もちろん続きにも大事な話があるという事は察しますが、話を聞くだけで理解が深まるのでしょうか?。当然ながら、”聞く姿勢”が相手の印象を変えるという事実が主旨である事は理解しています。私が危惧するのは、現代社会に於いて”自分で考える事をやめた”人達が多いという事です。これらは日本の教育の生み出した賜物であり、つまりは日本社会がこれを良しとしているわけです。声高々に〈日本の未来は明るい〉と思う方は、何も変える必要はありません。世の中で何が起きて、どういう風になろうとしているのか?今の現状や歴史を知れば知るほど【自分で考えること】の重要性が見えてくるはずです。

こあら🐨

コメント

タイトルとURLをコピーしました